坂口安吾の「恋愛論」に学ぶ「恋」と「愛」のちがい
「恋」と「愛」
「恋愛」という字は、「恋」と「愛」という2つの漢字から成り立つ言葉です。英語では区別なくどちらもLOVEと訳される似たような言葉ですが、実際のところ「恋」と「愛」は何がちかうのでしょうか。
よく冗談では、漢字の「心(こころ)」位置から、「恋」は下心、「愛」は真心なんて言われます。
ググってネットの辞書で調べてみるとこんなふうに出てきました。
「恋」・・・異性に愛情を寄せること、その心。恋愛。
「愛」・・・そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。
ネット辞書の意味から見る限り、2つの違いは「恋」は「愛」より限定的な表現で、「愛」の中で「性」に関係する時に使う言葉だといえます(最近は「LGBT」があるので「異性」ではないんですね)。
安吾の「恋愛論」
別の角度から違いを見ることもできます。
坂口安吾は、「堕落論」に収められているエッセイ「恋愛論」の中でこんなことを言っています。
「もっとも、恋す、という語には、いまだ所有せざるものに思いこがれるようなニュアンスもあり、愛すというと、もっと落ちついて、静かで、澄んでいて、すでに所有したものを、いつくしむような感じもある。だから恋すという語には、もとめるはげしさ、狂的な祈願がこめられているような趣きでもある。」
なぜ「恋しい」方が強い感情表現に思えるのか。安吾の言うように恋は「(そこに)ないもの」を欲する時に使われる言葉なのに対し、愛は「既に所有しているもの」に使われる言葉だということが分かります。
例えば、愛玩動物、愛用品、愛着品など、「所有」の意味が含んだ愛に関する言葉がたくさんあります。
一方で「恋人」は、お互いに強い感情で結ばれてはいるものの、そこには不安定さがあり、別れる可能性も十分にありえます。
だから既婚者の場合、恋という言葉を使うのは不自然です。お互いを「恋人」と呼ぶことはありません。夫婦愛と言っても夫婦恋という言葉もありません。自分の子供に対しても同様の理由から「愛している」といいます。
また、「愛人」という言葉は「愛人を持つ」とか「愛人になる」というように、どちらかが所有している意味合いが含まれます。
別の見方をすると、「恋」が実ると「愛」に変化するとも言えます。恋はいつか終わるもので、愛は永遠に続くといわれる由縁もここにあるのではないでしょうか。
女性の恋、男性の愛
さらに、私的には「恋」は女性的、「愛」は男性的だと思います。「恋してる」というセリフは女性の方が似合います。男性が言うとなんだか女々しい気がします。一方で「愛してる」という言葉は男女どちらも使う言葉ですが、男性がプロポーズの際の決め台詞であり、どちらかといえば男性が女性に使う頻度が高い言葉です。また、愛妻家といっても愛夫家とはいいません。
つまり、女性は恋に恋する傾向が強く、一方男性は愛することが好きな傾向があるということです。
これは、おそらく女性は理想的な「伴侶を見つける」ことに焦点を当てているのに対し、男性は「主人」として持っているものを守ろうとする意志が強いからだと思われます。
理想的なパートナーは、そう簡単には射止めません。掴むことができない。だから女性は恋の傾向なんですね。
一方、男性は掴んだものを手放さない所有欲が強い。そのために、愛する傾向が強い。
男性は、女性に理想的なパートナーと思わせるには、どうすればいいのか。
女性は、どうすればより愛されるのか。
こうした「恋」と「愛」の違いを知ることは、上手に恋愛を楽しむ上で、意外と役に立つのではないでしょうか。