究極の夫婦愛について 「智恵子抄」の紹介1
最近3年くらい連続で、年末に福島に旅行しています。
特に理由はありません。旅行の計画性がないので直前に取ろうとするとよく空いているのが福島という感じです。温泉も多く、混んでもなく安いというのがありがたい。ちなみにお気に入りは土湯温泉。山の奥で風情があります。
車で東北道の福島県二本松ICを過ぎるといつも高村光太郎の詩集「智恵子抄」の詩を思い出します。二本松は智恵子の故郷なんですね。こんな詩です。
「あどけない話」
智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である。
運転中、つい空をちらっと見てしまいます。あんまりその綺麗さがよくわからないですけれどね。
この本を読んだきっかけは、ここ5年くらいずっとはまっているラジオドラマでの朗読でした。
朗読する「北の国から」の女優の中嶋朋子さんの声が素晴らしく、またバックミュージックのモーツァルト?もしくはブラームス?の選曲も心地いいので何回繰り返して聞いても飽きないのです。
実は、中学生の頃にも冒頭の「いやなんです あなたがいってしまうのが」に惹かれて手に取って読んでみたことがあったのですが当時は、大人の愛について全くよくわかりませんでした。しかし、この朗読をきっかけに読み返してみるとシミジミと心に響きます。自分も大分歳を取ったものです。
この詩、実話といってもこれは文学作品だから、どこまで信じていいのかわからないけれどこんな夫婦愛があるなんて奇跡でしょう。
以下の詩はその中の特にお気に入り。
あの頃
人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。